2015年11月5日木曜日

本当の痛み

スポンサーリンク
トルコ戦士の皆様おはようございます。

実は大王、昨夜の「2」のうほうで記事を書き換えました。

どかというと、「クイック入金が出来ず、大王、ロスカットされたことあるので・・・・・・・・」ところを最初は、「クイック入金が出来ず、大王、大震災の時、ロスカットされたことあるので・・・・・・・・」と書いていました。


なんかですね・・”震災のせいでロスカットされた”ように感じられたら・・・それはなんか嫌だなと思いまして。

大王ブログ始めて、自分が思っていることを文にすることは非常に難しいと実感しています。
自分の意図していないとらえられかたを往々にしてされることがあります。

大王、2年前に石巻周辺の被災地を見てきました。震災の爪痕を見てきてわけですが、その痛々しさや破壊力のすさまじさはものすごく感じることができました。

ただ、大王震災以前の風景を見ていないので、何もない広大な土地を見て、ここは住宅地だったと説明されても「はーそうなんだ」としか感じられないんですね。ようするに以前の状況を認識していないので、その変化をイメージできないというか・・・・・・
決して冷淡な訳ではありません。すごく痛いことだととはわかるのですが・・・表現が上手くできませんが要するに実感できないとうか。

以前あった建物がなくなったり風景が変わる喪失感というのは以前あったものを深く馴染んでいた人しか味わえないんじゃないかなと思います。その喪失の儚さみたいなものは・・・

大王を溺愛してくれた何度も寝泊まりした祖父の家が売り払われ取り壊され、まったく別の家が建ったときに、すごく喪失感を感じました。というか未だにそこを見ると感じます。たった一軒の家が無くなっただけなのに・・・
深く馴染んだものが消えるのは相当痛いものです。

でも震災の本当の痛みというのは、それとは違うんですね。建物や風景の傷跡は震災の凄さは感じることができますが・・・

本当の痛みというのは大事な人を失うということです。

そのことを、大王に被災地を案内してくれた人から教えてもらいました。


長文すみません・・・・続きはまた後日書きたいと思います。(見たい人がいるかわかりませんが・・・)



スポンサーリンク

0 件のコメント:

コメントを投稿